この記事の目次
主題:神の終極の行動の中で終極の責任を担う
追求期間:2017/6/5(月)~6/10(土)
1. 忙しい方のための「超要約」
あくまでも個人的な見解なので、参考程度に留めてください。
一、私たちが担うべき終極の責任とは (I)
- 個人的に、キリストに浸透飽和され、(I.A)
- 団体的に、イエスの団体の証し人となり、(I.B)
- そして拡増開展を通して、各地に証しを広めること。(I.C)
*1~3は時系列的な発展になっています。1は主との個人的な関係を強調し、2はその先の地方召会における団体的な建造を強調し、3は更に他の地方へと広がる福音の拡増開展を強調しています。
二、責任を果たすための前提(II、III、IV)
- キリストがすべての権威をもって宇宙で行政執行していることを認識する。
- 小羊にしっかりと従って行く
- 行程を最後まで走る忠信さを持てるように、主のあわれみを求める。
専門用語(霊的用語)は聞けば聞くほど耳になじみますが、実は理解していないことがよくあります。そのために、論理的に読み解き、一般用語(特にビジネス用語)に言い換えてみると、意外とハッキリしたりします。特に子供にも分かる言葉で表現できたら、更にスッキリすると思います。それでは、やってみます。
上記の「超要約」のアウトラインを新入社員の募集要項に見立てると、こう言えるかもしれません(あくまでも参考):
一、社員の職務範囲
- 個人のスキルアップ(I.A)
- チームワークで業績を作る(I.B)
- 新規開拓する(新しい町に事業進出)(I.C)
二、求められている人物像
- 上司を正しく認識する。(II. とにかくすごい方!キリストは最高の地位に居て、すべての権威をもって、全宇宙を支配し、行政を執行している。)
- 上司に完全に服従する。(III. ついて行こう!彼の行動において一となる、すなわちキリストが行いたいことを行う。)
- 忠信であること。(IV. 最後までついて行こう!諦めない、手を抜かない、裏切らない、全力を尽くす。どうすれば忠信さをもてるのか?主のあわれみを求める必要があります。)
イエスについて行くことに関するピッタリの詩歌があります!ご存じない方が多いかもしれませんが、昭和時代の青年たちが作った福音詩歌集11番です:
「イエスについて行こう」
昭和福音詩歌集(全38曲)はhymns for Japan で聞けます。歌詞もダウンロードできます。
三、実行における順番
アウトラインによれば、実行の順番において、「主のあわれみを求める(祈り)」が始めの一歩ではないでしょうか?
順番に並べると:
- ①主のあわれみを求める
- ②忠信さが増す
- ③主について行く
- ④キリストに浸透飽和される
- ⑤団体の表現となる
- ⑥拡増開展して証しを広める
もちろん、実際はこのような単純な直線ではなく、循環も存在すると思います。例えば、主について行く中(③)で自分が忠信ではないことに気づかされ、再びあわれみを求める(①)こともあると思います。
2. PSRPシート(思想の流れ)
3. 音声(解説と読み聞かせ)
- トラック1の「鳥瞰」は項目1のPSRPシートに基づいての解説です。
- トラック2~7の「朗読」はアウトラインの朗読ですので、テキストを見たい場合は『朝ごとの食物』を開いてください。
- トラック8の「経験」は下記項目3のテキストを読み上げたものです。
- トラック9の「大本604番」は神戸に在る召会による選曲で、許可を得て公開しています。
- トラック10の「補充本詩歌540番」は朝ごとに掲載されている今週の詩歌で、習志野の聖徒の許可を得て公開しています。
4. 経験(生活での適用)
(Created by Church in Kobe, used with permission)
4.1. 経験①:イエスは神の写真であり、召会、新しい人はイエスの写真である
人はただ神を表現するために、神のかたちに造られました。私たちは、神の表現としての人を写真にたとえてもよいでしょう。人の写真は、その人を礼拝し、彼のために働き、彼に仕えるのではありません。写真の運命は、ただ人を表現することです。人は神の「写真」です。神は人を創造したとき、ご自身の「写真を撮って」いたのです。写真の機能が人を表現するためであるように、人は神を表現するために造られました。しかしながら、人はまさにこの点において神に対して失敗しましたが、詩篇第8篇は、第二の人が来て、神を表現するという人の責任を回復することを私たちに告げています(4-6節)。これが、イエスが達成したことです。イエスは、この地上にいる間、完全に神を表現しました。彼は神の実際の「写真」でした。
今や、この一枚の写真は複製されました。私たちはみなイエスの複製、「写真」です。ですから、今日神は団体的な表現である召会を持っており、召会は神の表現であるイエスの証しです。古い人アダムは神のかたちに創造されましたが、神に対して失敗しました。今や、召会は新しい人であり、神のかたちにしたがってキリストの中で創造され、神の表現としてのキリストを持っています。この表現はイエスの証しであり、それは啓示録においてまず諸地方召会となり、最終的に新エルサレムとなります。(I-B-2-a,b)
4.2. 中高生のための適用
人は神のかたちにしたがって創造されました。それはちょうど手袋が手のかたちにしたがって作られているのと同じです。手袋は手を入れ、手を表現します。同様に人に神のかたちがあるのは、神を人の中に入れ、人が神を表現するためです。最初の人アダムは、サタンの誘惑のゆえに堕落し、このことで失敗しました。しかし、第二の人イエス・キリストは、完全に神に依存し、神で満たされ、神を表現することで成功しました。
更に、主にある信者はキリストのからだの肢体、新しい人の構成要素です。
エペソ4:23-24 そして、あなたがたの思いの霊の中で新しくされ、また、あの実際の義と聖の中で、神にしたがって創造された、新しい人を着たのです。
コロサイ3:11 その新しい人には、ギリシャ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開人、スクテヤ人、奴隷、自由人はあり得ません.キリストがすべてであり、すべての中におられるのです。
イエス・キリストは、個人的に神を表現することで成功しました。今、神は彼のエコノミーの中で更に前進し、団体的な新しい人がイエスの証しとなり、神を団体的に大きく表現する必要があります。このために、あなたは思いを霊につけ、神の成分があなたの再生された霊から、魂の中の思いの中に広がらせる必要があります。この思いの更新が思いの霊の中で新しくされることであり、新しい人を実際的に着ることです。
召会の中には、様々な国々や、異なる社会的階級の中から召し出された人たちがいます。召会が一人の新しい人になるため、召された信者たちは、霊が再生された後、思いを霊につけることで思いが更新されるべきです。そうでないと、異なる文化の壁や社会的階級の壁等を乗り越えて、神を団体的に表現する一人の新しい人を持つことはできません。学校の先生やクラスメイトとの人間関係において、勉学において、あなたの魂だけを用いて、魂を肥大させてはいけません。魂だけを使うことは、実はサタン、鬼と会話することです。魂という漢字は「鬼が云う」と書きます。そうではなく、あなたは霊を活用し、主の御名を呼び、思いを霊につけて、思いが神に服し、思いの理解力が引き上げられ、神のみこころを認識できますように。あなたの魂が神から独立しないようにし、神に依存するために、実際的な生活の中で、必ず思いを霊につけることを徐々に学んでください。
4.3. 経験②:神の終極の行動と私たちの責任
クリスチャン生活における最も重要な事は、主が定めた行程を探し求めて、忠信にその行程を行くことです。今日の信者たちの間におけるあわれなことは、多くの人が、主が彼らのために定めた行程を見いだしていないということです。ある人は、それを見いだしても、その道を行きません。こういうわけで、彼らの生活は非常に多くの霊的な死、暗やみ、制限に満ちており、またこういうわけで、神の働きには非常に多くの争いと議論があるのです。私たち各自にとって最も重要なことは、神の御手に自分自身を置き、静まり、忍耐し、祈り、献身し、服従して、一心に彼の導きを尋ね求めることです。私たちは進んで彼に服従し、ただ彼のみこころにしたがって行動すべきです。私たちは、彼が私たちのためにあらかじめ定めた行程を、私たちに啓示してくださるようにと祈るべきです。この後、私たちはどんな代価でも払って、一心にそれを歩むべきです。
「走る」とは何でしょうか?「走る」とは、じっと立っていることを意味するのでもなく、ゆっくり歩くことを意味するのでもありません。それは、前に向かって速く走り、最も短い時間で最も長い距離を終えることを意味します。言い換えれば、それは速く走ることを意味します。競走する人が多くいるので、冠を勝ち取りたいなら、他の人の前を走らなければなりません。私たちが勝利を得るか得ないかは、どれほど速く走るかにかかっています。もし私たちが時間を浪費し、ぐずぐずしているなら、必ず失敗するでしょう。
主の評価と褒賞は、私たちの働きの大きさや量とは関係がなく、彼の賜物を最高に用いることでの忠信さと関係があります。(III-B-1, 2)
4.4. 在職青年のための適用
あなたがビジネス・パースンとして、会社においてどれだけ出世するか、あるいは、どれだけ収入を上げることができるのかは、主が予め定めておられます。クリスチャンは、主を表現し、主の中で統治するので、原則的にあなたが正常であれば、管理職になることを求めるべきです。しかし、どの程度の管理職なのか、リーダーなのか、マネージャーなのか、ディレクターなのか、役員なのかは、神の定めに従います。ですから、自分自身を神の御手に置き、静まり、献身を更新し、主の御声を聞き、服従することを学んでください。度量を超えて発展しようとすると、とんでもない失敗を犯してしまいます。また、天然的にへりくだって、自分の度量を制限することも、主に対する反逆です。更に、どの程度昇進するかだけでなく、いつ昇進するかについても、主に服する必要があります。なぜなら、あなたがどれだけ責任を担えるかは、あなたの命の成長に依存しているからです。畏れとおののきをもって、自分自身の救いを成し遂げてください。
自分の与えられた度量に留まる中で、あなたは必ず走る必要があります。ぐずぐずして、時間を浪費してはいけません。前に向かって、早く走るべきです。走ることで実際的に重要なのは、残業や休日出勤を適切に制限し、各種の集会に参加し、真理を追求し、福音を宣べ伝え、新人を養い、預言して召会を建造することです。もし、あなたのビジネス・ライフが出世のためにあるのであれば、それはもみ殻だけの空しい人生になってしまいます。あなたは出世するとしても、主の証しのため、召会建造のためでなければ、あなたの人の歴史の中に神聖な歴史が無くなってしまいます。ですから、ビジネス・ライフは副業あるいはもみ殻であり、召会建造が本業あるいはもみ殻の中の核なのです。
また、あなたが走るために、必ず兄弟姉妹と共に毎朝復興のため、約15分を費やして主を享受してください。あなたのビジネス・ライフが引き上げられるために、毎朝復興するかどうかは死活問題です。アーメン!
以上。
メール配信依頼
来週分から篠原姉妹のメールアドレスに配信させていただきます。^^
ハレルヤ!
忙しい人のための…、超ひらたい説明、昭和福音詩歌集、とても興味深い内容でした。
神聖な思想の理解が開かれ、実際の経験へとつながり、キリストがわたしたちのうちに造りこまれますように!
アーメン。「真理は高いが、適用はいつも簡単です」と教わりましたので、どんなに難しい真理でも、ひらたく説明することができると信じております。開かれた神聖な思想が、私たちの実際の経験へとつながりますように!
供給あり、エンジョイしました♪
(特に在職青年の箇所)
感謝します✨
(東大阪)
主に感謝します。適用の部分は、神戸に在る召会からお借りいている内容です。とても実際的です!キリストのからだの豊かさの故に主を賛美します。
すごくわかりやすかった!
特に、はじめの、忙しい人のための要約と、それから、新人社員に例えた、スキルアップや上司にたとえたところも、本当に、わかりやすく、
自分が追求で立ち止まって混乱してた時に、これを読んで、やっと、まとまった!!と思い感謝でした、新人と朝ごとやってるから、その中で、これをはなしてあげたら良かったな、と思いました!感謝します!
主を賛美します。それは良かったです。是非新人に話してあげてください。朝ごとの食物の内容は読み捨てではないから。
マタイ25章16~17節で、主は天の王国について例えを語られました:主人から財産を預かった二人の奴隷はそれぞれ「商売」をして、タラントを倍にしました。ですから、天の王国の実際である召会生活は、ある種の「商売・ビジネス」です。それは人の魂を獲得するためのビジネスです。
この世のビジネスは召会生活の影です。ルカ16章8節は「・・・この時代の子たちは、自分の世代に対して光の子たちよりも賢明・・・」だと言っています。私たちはこの時代の知識を主のためにうまく利用するために、学校に行き、職場に行っています。
この世のビジネスの一例でいうと、営業活動を通して新規顧客を獲得して、彼らをリピーターにして、更に口コミ書いて商品を宣伝してくれることを期待します。召会生活も同じです、福音活動を通して新人を得て、彼らを召会生活のリピーターにして、更に彼らが証しを語って他の新人を得ることを期待しています。商業は邪悪な蛇のようです。しかしそれを逆手に取れば、紅海を開かせる、岩から水を呼び出すモーセの杖になります。