天の務め第1週:上にあるものを求める


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主題:上にあるものを求める
追求期間:2017/6/19(月)~6/24(土)


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1. PSRPシート(思想の流れ)

印刷用PDF:日本語中国語英語
*神戸のまとめシート(New!!)

 


2. 音声(解説と読み聞かせ)

3. 経験(生活での適用)

(Created by Church in Kobe, used with permission)

3.1 経験①: 上にあるものはキリストの昇天、御座に着くこと、彼がかしら、主、キリストとされることを含む。私たちは上にあるものを求めることで、新エルサレムを建造することができる

コロサイ3:1こういうわけで、もしあなたがたがキリストと共に復活させられたのなら、上にあるものを求めなさい.そこにはキリストがいて、神の右に座しておられます。2あなたがたの思いを、地にあるものにではなく、上にあるものに置きなさい。

神として、主は絶えず主でした。しかし人として、彼は復活において彼の人性を神の中へともたらした後、昇天において主とされたのです。神は常に主ですが、今や人が主として御座の上に座しておられます。イエスが十字架につけられて葬られた後、神は彼を復活させて、彼を神の右に座らせ、このナザレ人イエスを全宇宙の主とされました。

キリストの主権は彼の昇天において完全に確立されたので、私たち(かしらであるキリストと一体化された彼のからだの肢体)は、この天的な事実を認識する必要があるだけです。キリストが主権を獲得したことをいったん認識すると、私たち、彼のからだとしての召会は、それを適用しなければなりません。

キリストは昇天において万民の主とされただけではなく、また神のキリストともされました。それは、福音の拡大と召会の建造を成し遂げて、神の選ばれた民が救われ、成就されて、新エルサレムを構成するためです。新エルサレムは、神の新約エコノミーにしたがって神の永遠の住まい、現れとなって、神の永遠の満足となります。

昇天の中にある方としてキリストは、主またキリストとされました。それは、彼が万物を所有するため、また彼の天の務めを通して神の使命を完成して、神のご計画を達成するためです。

3.2 在職青年編

ビジネス・パースンとして、あなたは地にあるものではなく、上にあるものを求めてください。地にあるものとは、会社における昇進、収入を増やすこと、子供の教育、車やマイホームを購入することなどです。これらのものはすべて、あなたに必要であることを神はご存知です。

マタイ6:28また、なぜあなたがたは、衣服について思い煩うのか?野のゆりがどのように生長するか、よく考えてみなさい。それらは労苦もせず、紡ぎもしない。29しかし、わたしはあなたがたに言う.栄華を極めたソロモンでさえ、これらの一つほどにも着飾ってはいなかった。30今日はここにあっても、明日は炉に投げ入れられる野の草を、神はこのように装ってくださるのだから、あなたがたにはなおさら、着せてくださらないはずがあろうか?あなたがた信仰の小さい者よ.31こういうわけで、『何を食べようか?何を飲もうか?何を着ようか?』と言って、思い煩ってはならない.32なぜなら、これらの物はすべて、異邦人が切に求めているからである。あなたがたの天の父は、これらの物がすべてあなたがたに必要であることを、ご存じなのである。33むしろ、まず父の王国と父の義を求めなさい.そうすれば、これらの物はすべて、あなたがたに加えられる。34こういうわけで、明日のことを思い煩ってはならない.明日は明日自身が思い煩うからである。その日の苦労は、その日だけで十分である。

あなたはこれら生活の必要を思い煩ってはいけません。むしろ、上にあることを思い、すなわち神の王国と神の義、キリストと召会を追い求めてください。神には、彼の心の願いに従ったエコノミーがあり、神はエコノミーのゴールである神の住まい、召会、キリストのからだ、新エルサレムを建造することを願っています。神はあなたを愛し、あなたのために十字架で血を流されました。それは消極面ではあなたが火の池で滅びないためですが、積極面ではあなたがキリストで満たされ、キリストのからだを建造するためです。あなたは神の愛に触れ、神を愛し、神のエコノミーを愛して、上にあるものを求めるビジネス・ライフを持ってください。

3.3 経験②: 魂を霊から切り離し、また霊を訓練することによって、上にあるものを求める

Ⅰコリント2:14 しかし魂の人は、神の霊の事柄を受け入れません.なぜなら、彼にとって、それは愚かであるからです.また彼は、それを知ることができません.それは、霊によって識別されるものだからです。15しかし霊の人は、すべての事柄を識別しますが、彼自身はだれにも識別されません。

魂と霊の間には大きな違いがあります。魂は霊から切り離されることができ、また切り離されるべきです。さらに、コリント人への第一の手紙第2章14節から15節は、もし魂が霊によって征服されず霊に服従していないなら、魂が霊に逆らい、霊に反対することを私たちに見せています。…魂の人は天然の人、魂の中に生きている人です。魂は、霊の事柄では完全に無能です。

この二つの節で、私たちは二種類の人を見ることができます。それは魂の人と霊の人です。魂の人と、魂そのものは、霊の事柄を理解したり受け入れたりすることができず、霊の事柄を愚かであるとさえ考えます。しかしながら、霊の人は霊の事柄を識別し、そして霊の事柄を受け入れることを喜びます。霊によって、私たちは霊の事柄を理解し識別します。また霊の中で、私たちは霊の事柄を持つことを願います。もし魂的であるなら、私たちは霊の事柄を理解することができず、また霊的なものを何も喜ばず、霊の事柄が愚かであると思いさえします。

コロサイ人への手紙第3章1節と2節でパウロは、上にあるものを求めるだけでなく、上にあるものに思いを置くようにと告げています。…私たちの目を天に上げて、私たちの思いをすばらしい、卓越したもの、上にあるものに置きましょう。…私たちの霊と全存在を天に開き、「スイッチ」を入れ続けることを学びましょう。それは、神聖な発電所からの伝達が、絶えず私たちの中へと流れるためです。

3.4 中高生編

中高生の時から、あなたは自分の霊と魂を識別することと、自分の霊を訓練することを学んでください。魂は、思い、感情、意志から成っています。思いは物事を考え、理解します。感情は愛したり憎んだりします。意志は思いと感情に基づき、決定します。学校ではおもに思いの訓練、すなわち理解力の訓練を行います。しかし召会は、あなたの霊と魂を識別し、霊を訓練することを教えます。霊を訓練すればするほど、霊は強くなって、あなたの霊が魂を支配するようになります。

若い時から霊と魂を区別することを学ぶことはとても重要です。なぜなら主は霊の中でのみ、あなたを供給し、導き、成就し、建造することができるからです。しかしあなたが霊の中におらず、魂の中にいるなら、あなたは主の祝福は愚かなことであると考えてしまいます。神の約束の祝福は、霊の人にとっては偉大な祝福ですが、魂の人にとっては愚かなのです。この大きな違いを理解するなら、あなたは霊と魂を識別することと、自分の霊を訓練することを切実に願うでしょう。

あなたが将来、大学に進学し、その後就職や結婚で大きな決定をしなければならない時が必ず来ます。多くの人は選んではいけないものを選び、大変な混乱の中に自ら進んで落ち込んでしまいます。例えば、会社の中で人事異動があります。上司は社員の成長のためにそのことを決定しました。しかし、魂の中にいる人は、暗闇の中にいるので、洞察力に欠け、複雑で、反逆的になりがちなので、人事異動を決定した上司を恨み、場合によっては会社を辞めてしまいます。このように魂の人は祝福をのろいと誤解し、大混乱に陥ってしまいます。それは彼らが霊と魂を区別し、霊を訓練して状況を理解し、決定しないからです。

霊と魂を区別するために、あなたには神の生きた言葉が必要です。神の言葉は生きていて効力があり、どんなもろ刃の剣よりも鋭く霊と魂を識別することができるのです。したがって、霊と魂の識別についてあなたは決して自分の能力に頼るのではなく、神の言葉に頼ってください。実行的には、毎朝、主の御名を呼び、御言葉を祈り読みするために、5分から15分を聖別してください。あなたが若い時からこのことを学ぶなら、あなたの前途は大いに祝福されるでしょう。アーメン!

4. 忙しい方のための「超要約」

個人的な見解なので、参考程度までにしてください。間違っている所があれば、どうぞご指摘ください。

4.1 シンプルな結論

私たちは「上にあるもの」を求める必要があります。上にあるものとは「昇天したキリストと彼と関係があるすべてのもの」(I.C.1)です。しかし、私たちには、「地にあるもの」(I.C.2)、すなわち、人の思想が絡み付いているので、切り分けられる必要があります。実行はとても簡単です:

主の御名を呼び求める

御言葉を祈り読みする

積極的なものを加えられることよりも、むしろ、消極的なものが取り除かれることに重点があると思います。なぜなら全てを含むキリストは既に私たちの霊の中にいて、私たちの造り変えられていない魂が彼を制限しているからです。魂が切り離されれば、キリストを見いだし、キリストを得ます。

経験的に説明すると

自分の感覚なのに、主から語りかけだと勘違いすることはよくあります。それは霊と魂を切り分けられていない特徴です。私たちは主の名を呼び、主のパースンに触れます。御ことばを祈り読みし、照らされ、そして「あっ、あれは自分の感覚だったのか」と気づきます。気づくやいなや、目からうろこ、古い思想(覆い)は取り除かれ、新しい思想(神聖な思想)を受け入れることになります。こうして「思いの更新」という新陳代謝が起こります。言い換えれば、自己天然が少しずつ減少されて、神の神聖な性質が増し加えられます。

私たちは堕落していて、考え方は間違いだらけです。更に成長する過程で、家庭教育、学校教育、職場、友人付き合い、メディア報道などで、間違った観念が注入されます。それが覆いとなるため真相は見えません。聖書の言葉は私たちの観念を暴露し、魂を砕きます。

あえて哲学の話をすると

古代ギリシャの哲学者、ソクラテス(469-399BC)とプラトン(427-347BC)は、生きることが「死ぬことの練習」(死のリハーサル)と考えました。肉体があるゆえ人は弱い、死ぬとき解放される。死のリハーサルは、生きている間の肉体の制限を減らすことでした。これは間違っていません。課題を突き止めたのです。しかし、「キリストと彼の十字架」がなければ、課題の解決は不可能なのです。なぜなら、このような素晴らしい発見がなされたにもかかわらず、人類は堕落の一途をたどって来ました。ニーチェ(1844~1900)に至っては無神論者であり精神錯乱して自殺しています。霊と魂が切り分けられることは、十字架の働きであり、「死ぬことの練習」です。神の言葉はもろ刃であり、魂を砕き、死を経験させ、私たちを「生きるのはもはやわたしではなく、キリスト」(ガラテヤ2:20)という境地に至らせます。

4.2 今週にピッタリな詩歌

大本544「霊と魂を見分けさせよ」♪

(第5節)
霊とたましいを見分けさせよ、卑怯な自己、暴露し、
なれの十字架を適用して、われでなく、キリスト生く。

(全部で7節あります。クリックして詳細の歌詞を開く)

以上。

2 Comments

田畑昌利 (北本)

奉仕を感謝します。できましたら、主日前の金曜あたりに配信してもらえませんか。

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admin

はい!似たような声が他からも上がってありますため、各地の奉仕者と相談して、なんとか配信を早められるように努力します。

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